【読書感想文】日本の歴史をよみなおす(全)

『日本の歴史をよみなおす(全)』網野善彦/筑摩書房/2005

 

「日本の歴史をよみなおす」「続・日本の歴史をよみなおす」の2編よりなる。


特におもしろかったのは、賤民に関する捉え方と、百姓の考え方である。


賤民は、神の奴隷として、一般社会から切り離された存在として位置づけられていた。しかし、神の権威が落ちるに従い、賤民としてのみ取り扱われるようになったものである。かつては、たとえば物は人と不可分一体であるから、市場は人と物を分離してしまう場所として、神に仕える者たちが取り仕切っていた場所である。また、辻は世俗と切り離された場所であり、そこで起こった犯罪行為は見逃されるということもあったという。
こうした状況を鑑みれば、昔授業でやったときの賤民の捉え方は、その状況を後世から一面的に捉えただけであって、その時代時代では、我々の考えるような賤民のイメージとはかけ離れている可能性があることを、想定に入れておく必要がある。

また、百姓については、日本の農本主義からイメージされていたような、「百姓=農民」ではない、という指摘が興味深い。特に、関東平野に広がる田圃を見て育った身からすると、そもそも山や海が身近にないため、※が作れない土地がほとんどであるということを、数字として知っているとはいえ、実感がないのである。だが、日本が海に囲まれ、川に分断されていることを考えれば、確かに漁民や、海運業が発達しているのは当然とも言える。「百姓」という文字だけ見れば、「百の姓」、一般の人々なのである。農民のみならず、漁民や商工業に携わる人々も百姓に勘定してみなければ、中世日本の状況を的確に捉えることはできないという著者の指摘はもっともである。

農本主義は、この本によれば非常に根深いものであって、租調庸の時代から、米が中心であった。泊・津など、海辺の村では、米がとれないことから、貧しい村であったと考えられていたのは、政府が米を中心とした租税制度を構築しており、米に関する書類は丁寧にとっておかれたからではないか、漁業や塩業などの書類は、政府に提出するものではないから、裏紙として使用されているため、裏襖などに使われているらしい。これに関しては、現在の感覚からいってもさもありなんというところで、仕事をしていても、役所に提出する書類は後生丁寧に取ってあるのである。

この本により、中世日本に関するイメージはだいぶ様変わりした。もう少し、詳しく勉強してみたい。